大判例

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名古屋地方裁判所 昭和57年(行ク)7号 決定 1983年3月29日

申立人 甲野一郎

右代理人 伊神喜弘

被申立人 愛知県立芸術大学学長 豊岡益人

右代理人 佐治良三

同 建守徹

主文

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

申立人

「一 被申立人が申立人に対し、昭和五七年四月一三日付「除籍について(通知)」と題する書面でなした同月一日付の除籍処分の効力は、右当事者間の名古屋地方裁判所昭和五七年(行ウ)九号除籍処分取消請求事件の判決確定に至るまで、これを停止する。

二 訴訟費用は被申立人の負担とする。」との決定

被申立人

主文一、二項同旨の決定

第二申立人の主張

一  申立人は、昭和五一年四月愛知県立芸術大学(以下「芸大」という。)美術学部美術科彫刻専攻に入学したが、被申立人より昭和五七年四月一三日付翌日到達の「除籍について(通知)」との書面で同月一日付で除籍処分(以下「本件除籍」という。)にされた。

二  しかしながら、右除籍は、違法、無効であるので申立人は、昭和五七年六月二八日名古屋地方裁判所に除籍処分取消の訴を提起した。

本件除籍が違法である理由は後記(本件除籍の違法)欄記載のとおりである。

三  しかも申立人は、本件除籍により次のような回復困難な損害を蒙り、これを避けるためには右処分の効力を停止する緊急の必要がある。

1  申立人は、実技Ⅳ(卒業制作)を除いて、学則四六条に定める卒業証書の授与をされるため必要な科目及び単位を取得している。

申立人は、昭和五七年二月六日に実技Ⅳ(卒業制作)の作品二点を提出したところ、二月九日に不合格と告知された。申立人はそれ以来、不合格の不当性とともに再評価の機会を与えるよう申入れ、担当の富松教官は再評価の機会を与えるよう努力するといっていたので、申立人も三月一日から再評価のための作品「人物のテラコッタ」の制作にかかっていた。

ところが、三月六日に至り、堀川教官より、既に二月一三日の教授会で除籍と決定されたので、再評価の機会は与えないと拒否され、結局申立人は再評価の機会を与えられないまま四月一三日に至って、四月一日付で本件除籍を受けた。

しかしながら、申立人は三月九日に再評価の作品「人物のテラコッタ」を完成しており、再評価の機会が与えられれば、直ちに実技Ⅳ(卒業制作)について評価を得て単位を取得し、学則四六条に定める卒業証書を授与されるについて必要な要件を満すことになる。

一方、本案裁判の確定はいくら早くとも二年ないし三年を要すると思われるが、再評価の機会さえ与えられれば、直ちに卒業しうる可能性があるのに、二年ないし三年もの期間卒業できない状態で推移する場合、申立人が今後の人生において社会的、経済的に回復困難な損害を蒙ること明白である。

2  申立人の家族状況をみると、父は母と既に離婚して、申立人が大学一年のときに行方不明となり、母は現在五七才で大阪府豊中市にある○○○病院の看護婦をしているが、既に定年をすぎ、現在は嘱託で働いているので経済的にも極めて不安定な状態にある。申立人には弟がおり現在定職に就いてはいるが、二二才という若年であり、長男である申立人が母の扶養をしなければならない。

一方、申立人はこのような家族状況のなかで奨学資金と新聞配達のアルバイトをしながら六年間の学生生活を送ってきた。

申立人は、本件除籍を受けたことにより卒業資格が与えられない結果、就職は極めて困難であるし、本案裁判によっていずれ救済されうるとしても、その間は、今までのようなアルバイトで生活しなければならないことになり、申立人は勿論、老令の母の生活も破綻する可能性が大きい。

3  更に申立人は、昭和四九年三月大阪府立千里高等学校を卒業して同年四月から摂津焼陶芸研究所(大阪府豊中市)で働き、同年一一月から岐阜県多治見市に住む陶芸作家丙川春夫氏のところに弟子入り、見習いとして入門し、昭和五〇年四月から岐阜県多治見市立陶磁器意匠研究所に入所し、陶磁器の基礎を学んでいたが、造形についての基本的な知識、表現することについての過程をもう少し深く追求しようと思い、愛知県立芸術大学(以下「芸大」という)美術学部美術科彫刻専攻に入学したという経歴をもつものであり、同大学に入学後も真面目に学習を続け、且つ卒業に必要な科目、単位を取得し、実技Ⅳ(卒業制作)も提出し、卒業しようとしたのに、再評価(追試験)の機会もなく本件除籍を受け、卒業資格を付与されることなく社会に投げ出されたのであり、社会的に従来の学習活動が全く評価されないことになり、二七才という年令とあいまち今後生きていくうえで、社会生活上とりかえしのつかない損害を蒙ることは明らかである。

4  以上の損害は、いずれも後日、本案につき勝訴判決を得ても回復困難な損害であって、申立人には、これを避けるための緊急の必要があるので、申立の趣旨のとおり、本件除籍の効力の停止を求める。

四  そして、本件除籍の効力を停止しても、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれはなく、又後述の本件除籍の違法原因事実によれば、本案について理由がないとみえる事案にもあたらない。

(本件除籍の違法性)

一  申立人は、昭和五一年四月、芸大美術学部美術科彫刻専攻に入学した。

二1  芸大の学則第三六条は授業科目を「一般教育科目、外国語科目、保健体育科目、基礎教育科目、専門教育科目」の五つに区分している。

そして、(イ)学則三七条は、一般教育科目の学科目、授業科目、単位数を学則別表1のとおり定め、(ロ)学則三八条は、外国語科目の学科目、授業科目、単位数及び履修方法を学則別表2のとおり定め、(ハ)学則三九条は、保健体育科目の学科目、授業科目及び単位数を学則別表3のとおり定めるとともに、定められた授業科目を必ず履修すべき旨定め、(ニ)学則四〇条は、基礎教育科目の学科目、授業科目、単位数及び履修方法を学則別表4のとおり定め、(ホ)学則四一条は、専門教育科目の各学部ごとの学科目、授業科目、単位数及び履修方法を学則別表5及び同6のとおり定めている。

2  学則四六条は「本学に四年以上在学し、学科及び専攻所定の科目につき次表に掲げる単位数以上を修得した学生には、卒業証書を授与する」と定めているところ、美術学部美術科彫刻専攻である申立人の場合、卒業証書が授与されるためには、

一般教育科目        二四単位

外国語科目          八単位

保健体育科目         四単位

基礎教育科目        一二単位

専門教育科目        七八単位

の計一二六単位以上修得する必要がある。

三1  原告の昭和五一年度(第一年次)から昭和五五年度(第五年次)までの学科目、授業科目及び単位の取得状況は次のとおりである。

(一) 昭和五一年次(第一年次)

(一般教育科目)

人文 美学          四単位

社会 法学(日本国憲法を含む)四単位

心理学         四単位

自然 自然科学史A      二単位

自然科学史B      二単位

(外国語科目)

英語初級           四単位

(基礎教育)

日本美術史概説        四単位

西洋美術史概説        四単位

(専門教育科目)

イ 専攻科目

実技Ⅰ         一二単位

ロ 関連科目

西洋美術史特講      四単位

美術解剖学        四単位

(二) 昭和五二年次(第二年次)

(一般教育科目)

人文 文化史A        二単位

総合 芸術と諸科学      四単位

(専門教育科目)

イ 専攻科目

実技Ⅱ         一二単位

(三) 昭和五三年次(第三年次)

(専門教育科目)

イ 専攻科目

実技Ⅲ         一二単位

ロ 関連科目

立体造形の研究      四単位

(四) 昭和五四年次(第四年次)

(専門教育科目)

ロ 関連科目

光及び遠近法       四単位

(五) 昭和五五年次(第五年次)

(一般教育科目)

人文 文化史B        二単位

(外国語科目)

英語上級           四単位

(保健体育科目)

保健体育理論         二単位

体育実技           二単位

(基礎教育科目)

ロ 関連科目

美術素材科学       四単位

2  即ち、一般教育科目についてみれば、人文、社会及び自然の各授業科目から、四単位以上履修し、この一二単位を含めて二四単位修得しており、外国語科目についてみれば一ヵ国語を八単位修得しており、保健体育科目についてみれば、体育理論二単位、体育実技二単位、計四単位を修得し、基礎教育科目は、日本美術史概説四単位、西洋美術史概説四単位、美術素材科学四単位、計一二単位修得し、専門教育科目は、(イ)専攻科目については、実技Ⅰ一二単位、実技Ⅱ一二単位、実技Ⅲ一八単位、計四二単位修得し、(ロ)関連科目については、素描及び色彩研究四単位、西洋美術史特講四単位、美術解剖学四単位、図学及び遠近法四単位、計一六単位修得している。

要するに、申立人は、専門教育科目の専攻科目である実技Ⅳ(卒業制作を含む)、二二単位を除いて卒業に必要な授業科目単位を修得しているのである。

四  実技Ⅳ(卒業制作を含む)の学習状況

1  昭和五四年度(第四年次)

同年四月、申立人は、彫刻四年次担当の教官小池郁男助教授に対し、四年次計画書を提出した(甲第三号証)。右計画書で申立人は、「芸術における彫刻とは私にとっての対象であり表象であるところの普遍的な属性をそなえたものである。彫刻における見るという行為は、そのメディアの持つ特性として存在することはいうまでもないのだが、見る対象及びその対象の存在する場は、すでにこの私の表象された概念としてすでに(私―事物―世界)の連関の中におさまっている。その背理として、私―事物―世界は経験の中にあってしか認識することができないということが成立つのだが、少なくともこうした連関の中に私が存在していることにはかわりがないのだが、見るということは、いったい何をさしているのかということの内容としての問題がまず私に迫られる。」と述べ、申立人の課題は「現実的な問題として今私の対象となるのは、空間の属性をして時間の属性といったことである。そしてこうしたことの物質化(現実に基づいた)ということである。」としている。

通常四年次計画書は、芸大所定の書類(甲第四号証)に必要事項を記入のうえ提出することになっているが、申立人は、「この計画表の求めているものは一年という時間を素材研究という名目のもとに個人的世界観をいかに上手に表現するかということに向けての時間の配分にあるという内容を持っている。本来自由な創作活動を素材研究という形で誘導する一つの手段として、又、あるテーマに基づく限定された素材でいかに表現するかという位置に規定してくるものとしてこの計画表はある。したがって私の対象となる空間及び時間の属性といった問題を追求していく上でこの計画表は全く無意味なものとなる。」ことを理由に所定書類に必要事項を記入して提出することをせず、甲第三号証のとおりの四年次計画書を提出した。

又、素材研究にもとづく授業は、申立人は、意味がないので受ける必要性はないと考え、前記甲第三号証一四頁にも、その趣旨を述べているが、これに関して小池教官は「卒業制作は彫刻四年生の実習室で作らなくてもよい。下宿で考えたり、作ったりしたことをその都度報告してくれればよい」と答えていた。

そして、昭和五四年度は計画書で述べた課題にとりくんでいたが、卒業作品は出さなかった。

2  昭和五五年次(在学五年目の四年次)

同年六月二七日、申立人は卒業制作①として「見ることの反証展」を彫刻専攻四年生の実習室でおこなった。これは、実習室の中にある道具類、壁面、床、窓などを紙で覆った上、そのことについて、手伝ってくれた人、見にきた人と話し合うという試みであった。この企画は、実習室の空間、時間が従来素材研究という名目のもとに若い女のヌードを見て人体を彫刻するために、使用されているが、人体を彫刻することの意味、内容が全く論議の対象とされていなかったので、これを論議の対象としようとするものであった。

この申立人の企画に対し、真面目に対応しようとした教官は皆無であった。

同日以降申立人は、「見ることについての反証展」に関して「見ることについて」と題するパンフレットの編集作業に入った。

昭和五六年一月中旬、小池教官から、申立人に対し、卒業制作の搬入期日が二月七日(土)午後四時迄であること、一般教育等の授業を含め現在の卒業制作の制作状況、今後の予定を連絡するようにとの書面による知らせがなされた。

昭和五六年一月二七日「見ることについて」とのパンフレットを完成、発行し、一月下旬同パンフレットを小池教官に持参し、卒業制作の制作状況と今後の予定を説明した。

二月六日、申立人は、「事物と言語の関係について展」を卒業制作②として大学内の大工房で行った。

そして、二月七日卒業作品として前記昭和五五年六月二七日行った「見ることについての反証展」の記録と昭和五六年二月六日行った「事物と言語の関係について展」の記録、メモ類、エスキースの写真などをとじたファイルを提出したが、二月八日、立体でないので評価の対象にならないとの理由で不合格となった。

同年二月一三日申立人は、美術学部美術科彫刻専攻の教官らに対し「再評価の申入れ書(甲第八号証)」を提出したが応答はなかった。

3  昭和五六年次(在学六年目の四年次)

(一) 同年四月、実技Ⅳの授業の最初の時間に卒業制作についての説明があり、申立人も出席した。申立人は、そのとき「4年次卒業制作計画」には九種の素材から二素材を選ぶとあるが、九種の素材以外に他の素材を使用してよいかと尋ねたところ、四年次担当教官の富松孝侑助教授は「九種の素材は例として書いてある。別にその他でもかまわない。」と答えた。

(二) 五月二六日、申立人は試展①として作品を大学内で発表した。

七月一五日、申立人は、試展②として作品を大学内に発表した。この作品は雑誌「美術手帳」一〇月号にとりあげられた。

また、申立人は、一一月の芸術祭企画C、E、Pに参加し、作品を発表した。

これらの申立人の作品発表に対し、担当の富松教官は何の応答もしなかった。

(三) 昭和五七年二月六日、申立人は、「新聞紙、ビニールひも、ガムテープ、じゅうたん、黒板、チョーク、墨、はけ、脚立、押しピン、黒板をかける脚。」「板、粘土、バケツ。」の二点を卒業作品として提出した。

五  昭和五六年次の卒業作品提出から、本件除籍に至る経過

1  不合格の告知

二月九日に申立人が研究室に出頭したところ、堀川教官から、申立人が、二月六日提出した卒業作品は二月七日彫刻専攻会議(彫刻科担当教官による採点会議)により不合格になった旨、及びその理由は、右作品は、単なる器物であり、造形としては認められないということである旨告知された。

2  不合格の告知以降

二月一二日

申立人は、美術科彫刻専攻の富松教官に対し、不合格の理由に納得がゆかないので釈明を求める書面(甲第一四号証)を提出した。

二月一三日

卒業制作展の会場である愛知県美術館で午後五時ころ富松教官と話し合ったが、申立人の、「私は今回、不合格になった理由が解りません。卒業制作に出した作品についてもさらに話し合う必要を感じています。話し合いの機会を作って下さい。」との申入れに対し、同教官は「卒業制作展が終わった段階で持とう。」と応答した。

二月一七日

卒業制作展の会場で申立人は富松教官と再度話し合い、重ねて不合格理由の明示、再提出の機会を与えるべきこと、及び卒業したいとの希望を述べた質問書を同教官に提出し回答を求めた(甲第一五号証)。

二月二七日

大学の教官室で申立人と富松教官と話し合い、「卒業作品の再評価と卒業作品の再提出」を要求したところ、同教官は、申立人の右要求は、彫刻専攻の教官に伝える。再提出は多分認められると思うと述べたうえ、再提出作品を用意しているかどうかについて申立人に質問した。

三月一日

申立人は、同日から卒業制作の制作にかかる。制作しようとしたのは人物のテラコッタ(一般に瀬戸物による人物等の置物のことをいう)のついた二個の食器であった。

三月三日

申立人が富松教官からの架電により、芸大研究室に赴くと、富松教官は「再提出の件については、彫刻専攻の先生方には伝えました。今、審議を継続中です。」「近いうちに結論が出ると思います。」と伝言した。

その際、申立人が作品の制作状況を説明し、三月八日~九日に窯入れをする予定であるが、乾燥がもう少しかかるようなら窯入れは少し遅れる旨説明すると、富松教官は「急ぎすぎてこわれるようなら困るので、充分乾燥してから焼いて下さい。」と述べた。

三月六日

当日午前中に、申立人は、研究室に赴き、富松教官、堀川教官、古島教官と面談したが、堀川教官は申立人に対し、造形として認められないという不合格の理由を述べたうえ、卒業制作再提出は、認められない、二月一三日の教授会で申立人の除籍が決定されている、と述べた。

三月二五日

申立人は、芸大研究室において、堀川、富松両教官に対し、卒業作品の不合格の理由、卒業作品の再提出の要求が認められなかった理由、及び除籍の決まった日について質問したところ、堀川教官は不合格の理由は「彫刻に対する考え方が申立人のそれと、芸大側と平行線であった」と述べ、再提出の要求を認めなかった理由は、「単に卒業作品が基準に達していないというだけでなく、出席状況とか大学での生活態度(学内で申立人が発表した前記試展等を指す)を総合してもとても無理だということになった。」と述べ、除籍は二月一二日に決定したというのであった。

3  本件除籍処分まで

四月上旬

申立人は、三月二五日付の美術学部長の申立人宛の「在学期間について」との文書を入手したが、その文書の内容は「あなたは来る昭和五七年三月三一日で在学期間が六年に達し、学則第三〇条第二号により除籍の対象者になりますので、お知らせします。なお、学則一四条により『在学期間は六年をこえることができない』となっています。」であった。

申立人は、それ以来加納事務長、建畠美術学部長らに架電したりして、除籍にならないよう種々交渉したり、要望書を提出したりした。

四月一四日

申立人に対し、四月一三日付の豊岡益人学長名義の「除籍について(通知)」との文書が送付されてきた。その内容は「このことについて、昭和五七年三月三一日において在学期間が満了ですから、愛知県立芸術大学学則三〇条二号の規定により、昭和五七年四月一日付を以て除籍しました。」というのである。

六  本件除籍の処分性について

1  芸大学則三〇条は「学長は次の各号のいずれかに該当する学生に対して除籍をすることができる。」とし「一、2年の休学期間を経過した者、二、6年の在学期間を経過した者、三、疾病その他の理由により成業の見込みがないと認められる者、四、正当な理由がなくて、授業料を滞納し、督促を受けても納入しない者、五、死亡又は行方不明の者」と定める。

右規定の趣旨によれば、除籍は学長によってなされる処分であることは明白である。

2  同学則一四条は「在学期間は、六年をこえることができない。」と定めるが、この定めがあるからといって六年の在学期間の経過の終了と同時に自動的に除籍となるわけでない。即ち、同条項は、在学期間の原則を定めたものであり、事情のある場合に教育的見地より在学期間が更に延長されたり、或は、卒業証書の授与に必要な単位がわずかに不足するとき等に追試等の措置により単位を付与しうるとき、一定期間除籍を留保し卒業させる必要がある。

ちなみに名古屋大学の学則二五条は「学生が在学八年(医学部学生は一二年)に及んでも、なお所定の試験に合格しないときは、学長は当該教授会の議を経てこれを除籍することがある。」と定め、除籍が教育的見地からなされる処分であることが一層明確となっているが、芸大の学則もこれと別異に解すべき根拠はない。

3  芸大学則一一条三項は、学部の教授会が「学生の入学、休学、退学、転学、除籍及び懲戒に関すること」を審議する権限のあることを定め(同項五号)、同九条五項は評議会が「学生の厚生補導並びに学生の退学及び停学に関すること」「学部その他の機関の連絡調査に関すること」「その他本学の運営に関する重要なこと」について学長の諮問に応じて審議する権限のあることを定める(同項四号、七号及び八号)。したがって、学長が学生を除籍にする場合には教授会及び評議会の議を経たうえなされる必要がある。

七  本件除籍の違法性について

1  昭和五七年四月一三日付の「除籍について(通知)」の内容は、「このことについて昭和五七年三月三一日において在学期間が満了ですから、愛知県立芸術大学学則三〇条二号の規定により、昭和五七年四月一日付を以て除籍しました。」というのである。しかし四月一日までの間に美術学部教授会が原告の除籍について審議した事実はなく、また、評議会の議も経ず本件処分がされているから本件除籍は学則一一条三項、同七条五項に違反し無効である。

2  芸大当局は、除籍は被申立人が教授会の審議を経、評議会に諮問し審議を経たうえなす処分であるのに、六年の在学期間の終了と同時に自動的に除籍となるとの誤った法律的見解を持ち、このような誤った見解のもとに本件除籍の通知をなしたもので、この点でも違法である。

即ち、本件除籍が四月一日付でなされていることは、芸大当局が、在学期間の経過とともに自動的に除籍になると理解していたことを示す。したがって、仮に四月一二日に教授会が開催されたとしても、そのときの教授会で教育的見地からされるべき処分たる除籍処分をするについて、その是非を判断すべき基礎事実について審議したことはないはずである。四月一〇日申立人の問合せに対し、加納事務長は「事務としては四月二二日の教授会に除籍対象者がいるということを報告することになる」と述べていることからも、除籍処分をするか否かについてその基礎事実について教授会で審議されていないことは明らかである。

3(一)  除籍は、在学関係及び学生の学習権保障の基本にかかわる学校教育上の法的措置であるから、当該学生の学習権保障を十分にする手続が必要である。除籍は学生に対し、当該教育機関における勉学の機会を永遠且つ完全に剥奪するものであるから、右法理は当然且つ自明のことといわなければならない。

(二) 申立人は、実技Ⅳ(卒業制作を含む)を除いて、卒業に必要な所定の科目、単位を履修しているところ、実技Ⅳが前記「四、昭和五六年次の卒業作品提出以降除籍に至るまでの経過」の項に記載したとおりの事実の経過で不合格となり単位が取得されていないため、卒業ができない一方、学則に定める六年の在学期間も経過したわけである。

しかしながら、日本のように卒業認定制度をとっている場合、学生が卒業の認定を受けるか否かは、当該学生にとって極めて重大な利害関係を有するものである。学校教育法六三条一項は「大学に四年以上在学し、一定の試験を受け、これに合格したものは学士と称することができる」と定め、学則四六条は「本学に四年以上在学し学科及び専攻所定の科目につき、次の表に掲げる単位数以上を修得した学生には、卒業証書を授与する。」、同四七条は「本学を卒業した者は、芸術学士と称することができる。」と定め、卒業認定制度を法制度上認めている。かような法制度のもとでは卒業認定を受けることは極めて重大な資格が付与されることになり、生涯に亘ってその者の社会的評価の基礎となるのである。

除籍された場合、社会的には大学に籍をおきながら在学期間学習をおろそかにして、ろくろく勉強していなかったという評価を受けることは免れがたいのであって、中退より社会から受ける評価は低いのである。

(三) したがって、芸大当局としては、学生が卒業認定を受けられるようできる限りの措置を講ずべきであり、本件の場合について言えば、申立人に対し実技Ⅳの作品の再提出の機会を与えるべき義務があったといわなければならない。学則四五条三項は「試験に合格した学生には、所定の単位を与える。」と定め、同四項は「試験に不合格の学生には再試験を受けさせることができる。」と定めるが、本件の如く、あと一科目の単位さえとれば卒業認定がされる状態のときには、大学当局は再試験の機会を必ず与えるべきである。特に本件の場合、六年の在籍期間との関係で特段の事情のない限り在籍期間の延長は考えにくい際には、再試験の機会を与えることは絶対に必要である。かくてこそ、除籍にあたってなされるべき学習権保障の手続が履践されたといわなければならない。

これを本件についてみると、申立人は実技Ⅳ(卒業制作)が不合格になった時点で、不合格との評価の不当性を追及するとともに、あわせて再提出の機会が保障されるべきことを申入れており、これに対し富松教官は、二月二七日には一旦、原告の希望にそうよう努力すると、言明し、原告も三月一日より再提出用の人物のテラコッタの制作にかかっていたのに芸大当局は、三月六日に至って突然、二月一三日の教授会で除籍が決まったとの虚偽の理由で再提出の機会を与えることを拒んだというのが真相である。

したがって、本件処分は学習権保障の手続を践まずになされたものであり違法である。

4  卒業作品が不合格となった理由は、堀川教官によれば、造形として認められないというのであるが、このような理由で不合格とするのは現代彫刻の実情に照し不当であり、学生に保障されている正当な評価を受ける権利を侵害したものとして違法である。

第三被申立人の主張

(申立人の主張に対する認否)

一  申立人主張第一項の事実は認める。但し、申立人主張の通知が行政処分にあたらないことは後述のとおりである。

二  同第二項の事実のうち、(本件除籍の違法)欄記載事実の認否は、後記のとおりである。その余は認める。

三  同第三項の事実のうち、

1 冒頭部分の主張は否認する。

2 その1の事実については、申立人が実技Ⅳ(卒業制作を含む。)を除いて、学則四六条に定める卒業証書の授与をされるため必要な科目及び単位を取得していたこと、申立人が昭和五七年二月六日に卒業制作の作品二点を提出したところ、同月九日に不合格と告知されたこと、同年三月六日に堀川教授から、卒業制作再提出の希望は認めることができない旨告げられたこと、及び申立人が同年四月一日付で除籍されたことは、いずれも認めるが、申立人が同年三月一日から再評価のための作品「人物のテラコッタ」の制作にかかったこと、及び同月九日に右制作を完成したことは、いずれも知らない。その余の事実は全部否認する。後述のように、申立人が仮に卒業制作を再提出したとしても、当然合格の評価を得て実技Ⅳ(卒業制作を含む。)について単位を授与され、芸大を卒業するとは言えない。

3 その2の事実については、申立人が六年間の学生生活のうちに、奨学資金の貸与を受けたり新聞配達のアルバイトをしたことのあることは、認める。その余の事実は、全部否認する。申立人が日本育英会奨学生として奨学資金の貸与を受けていたのは、昭和五二年七月から同五五年三月まで(二年次から四年次まで)であり、また、申立人が新聞配達のアルバイトをしていたのは、昭和五六年三月頃までであって、同年四月以降は日本社会党愛知県本部に勤務し、今日に至っている。

4 その3の事実については、申立人の経歴がその主張のとおりであることは知らない。その余の事実は、否認する。

四  同第四項は争う。

(被申立人の主張)

本件申立ては、次の理由により却下さるべきである。

一  本件申立は、「本案について理由がないとみえるとき」に該当する。

1 本件除籍は行政処分に当らないから本案訴訟は、不適法である。

(一) 芸大における在学期間の経過を理由とする除籍(学則三〇条二号の除籍)は、在学期間の経過という事実の発生によって当然学生の身分を失わせる制度である。

したがって、申立人は、昭和五七年三月三一日の経過により学則一四条所定の在学期間(六年)が満了すると同時に、芸大の学生という身分を失ったものであり、被申立人から申立人にあてた同年四月一三日付の「除籍について(通知)」と題する書面(以下「本件通知」という。)は、右事実を申立人に通知したものに過ぎず、申立人が本件通知によって学生の身分を失ったわけではない。

ところで行訴法上の取消訴訟の対象となり得る行政庁の処分とは、行政主体が公権力の発動として行う公法上の行為であり、かつ、これによりその相手方に対して何らかの法律的影響を与えるものでなければならないところ、本件通知は、前述のように、単なる事実の通知に過ぎず、申立人の権利義務や法律上の地位に影響を及ぼすものではないから、本件通知の取消しを求める本案訴訟は、その対象を欠くものとして不適法である。

(二) 申立人は、除籍を行政処分であると主張しているが、右主張は、以下に述べるとおり、理由がない。

(1) 芸大の学則においては、在学期間(一四条)のほか休学期間についても、通算して二年をこえることができないものと定められている(二六条二項ただし書き)から、学生の休学期間や在学期間が学則所定の期間を経過した場合には、学生はこれによって当然学生の身分を失い、学長のなす除籍通知は、学生であった者にこのことを通知する行為であると理解すべきであり、この関係は学生が在学中に死亡した場合と全く同様である(学生は、死亡という事実によって学生の身分を失い、学長の除籍通知によってこれを失うものではない。)

要するに学則三〇条による除籍のなかには、単に事実の確認と通知に過ぎないもの(一号、二号及び五号前段、本件通知は二号)と、処分性をもったもの(三号、四号及び五号後段)とが混在しているのである。

芸大は、開学以来今日に至るまで、一人の例外もなく、在学期間の経過と同時に、当然に、学生の身分を失ったものとして、除籍通知がなされており、在学期間が経過したにもかかわらず、なお学生の身分を有するものとして取り扱われた事例は、一件も存しない。

(2) 申立人は、名古屋大学の学則を引用しているが、申立人の主張によるも、右学則と県芸大の学則とは、全くその文言を異にするものであるから、両者を同一に解しなければならない必然性は、全く存しない。なお、除籍を自動的なものとするか、又は裁量的なものとするかは、大学当局が教育的見地から自主的に決定すべき事項であるから、学則等により、いずれの制度を採用することも可能であり、必ず後者でなければならないと断定することは、明らかに誤りである。

芸大において、除籍を自動的なものとして、最長在学期間を六年とした根拠は、つぎのとおりであって、右制度には十分合理性が認められる。

すなわち、一般大学は、講義を中心に授業を行っているので集合教育が可能であるが、県芸大は、芸術系大学の特質上、実技を中心に極めて限られた人員を対象として授業を行っているため、施設・設備の面はもとより、教育効果の上からも、おのずから限界があるので、留年者が多くなりすぎると、教育上幾多の支障を生ずる。また、芸術の道は生涯を通じての練磨であり、大学にあっての教育は、六年が限度であると考えられる。

したがって、県芸大のみならず、芸術系国公立大学(例えば、東京芸術大学、金沢美術工芸大学及び京都市立芸術大学)においては、除籍を自動的なものとして、最長在学期間を六年と規定している例が多い。

(3) 芸大の学則において、学生の除籍に関する事項が教授会の審議事項とされているのは、除籍は、その処分性の有無はともかくとして、これによって学生の身分を失わせるものであるからである。そして在学期間の満了による除籍についても、休学期間は在学期間に算入しないこととされている(二六条三項)ので、在学期間の満了という事実の有無についての調査の慎重を期する意味において、あえて例外を設けず、原則どおり処理されるものとされているのであるから、この点を把えて右除籍についての処分性を肯定することは、明らかに誤りである。

(4) 芸大の学則においては、除籍は評議会の審議事項とされていない。評議会の審議事項を定めた学則九条五項四号において、「学生の退学及び停学」とあるのは、「学生の厚生補導」と並記されていることによって明らかなように、懲戒処分としての退学及び停学(学則五三条参照)を意味するものである。そして、学則一一条三項五号において、「退学」と「除籍」が列記されていることによって明らかなように、「退学」のなかには「除籍」は含まれていないのであるから、学則九条五項四号を根拠として、除籍を評議会の審議事項に含めることは、明らかに誤りである。

さらに、除籍が、同項七号や八号にいう「学部その他の機関の連絡調整に関すること」及び「本学の運営に関する重要なこと」に該当しないことは、明らかであるから、これらの規定を根拠として、除籍を評議会の審議事項と解することは、不可能である。

このように、除籍は、学則上、評議会の審議事項に当たらないものであるから、芸大の実務においても、除籍さるべき学生が生じたときも、事前に評議会の審議を経るわけではなく、除籍後にこれを評議会に報告して了承を得ている。

2 仮に本件除籍が行政処分に当たるとしても、本件通知による除籍処分には何らの瑕疵もなく、したがって、その取消しを求める本案訴訟は理由がない。

(一) 本件除籍が芸大美術学部教授会において審議された経過は、次のとおりであり、したがって、本件除籍が学則一一条三項五号に違反する事実はない。

(1) 卒業制作の提出日は、昭和五七年二月六日午前九時から午後四時までと定められていたところ、申立人は締切時刻の少し前に、次のテーマの制作物二点を提出した。

① 新聞紙、ビニールひも、脚立、ガムテープ、じゅうたん、黒板その他

② 板、粘土、バケツ

(2) 翌七日、彫刻担当の採点教員である、堀川教授、古島教授、小池助教授、富松助教授、高橋講師及び水谷講師の六名が、慎重に検討した結果、提出された前記二点は、制作過程を示す材質研究の技術がなく、素材を生かす構成や造形性がなく、その特質を理解する点と創意を確認できる造形(組み立て)の点に著しく乏しく、表現力が拙劣であるため、卒業制作としての力を欠いている、として、不可(不合格)の採点が与えられ、さらに、申立人の制作の過程その他を加味して、実技Ⅳ(卒業制作を含む。)(以下「実技Ⅳ」という。)に所定の単位を授与しないことと決定した。

(3) 同月一三日卒業判定のための教授会が開かれ、堀川教授から、写真資料をそえて申立人の提出した卒業制作についての評価、その他同月七日に開かれた彫刻専攻採点会議の経過を説明した後、教授会は、申立人の単位不足を確認し、申立人が昭和五七年三月に卒業できないことを決定した。

右教授会においては、申立人は同年三月三一日の経過により在学期間が六年をこえることとなる旨の事務報告がなされ、教授会はこれを了承した。

(4) 同年三月一三日に開かれた教授会において、申立人を含めて同月末日をもって在学期間が六年に達する学生に対しては、それまでの間に自主退学を勧め、これに応じない場合には、やむを得ず除籍をすることが決定された。

(5) 同年四月一二日に開かれた臨時教授会において、申立人を含めて同年三月三一日の経過とともに在学期間が六年を超えることとなった者は、同年四月一日付で除籍とすることが決定された。

(二) 本件除籍について評議会の審議を経る必要のないことは既述のとおりであるから、本件除籍が評議会の審議を経ることなくなされたことは、何ら違法ではない。ちなみに、本件除籍については、同年四月二二日、建畠美術学部長から評議会に報告して、その了承を得ている。

(三) 芸大の学則における除籍の基礎事実は、当該学生の在学期間を六年を超えるかどうかの点である。そして、教授会における本件除籍についての審議の経過は前述のとおりであるから、右基礎事実についての審議がなされたことは明らかである。

(四) 芸大の学則によれば、申立人の入学年月が昭和五一年四月である以上、昭和五七年二月六日提出された前記卒業制作が不可とされ、実技Ⅳについて所定の単位が授与されないため、同年三月に卒業できない限り、申立人が除籍されることは、理の当然である。したがって、申立人のいう学習権に対する配慮が必要であるとしても、右配慮は、卒業制作を不可とし、実技Ⅳについて所定の単位を授与しない際になされるべきであるとともに、これをもって足る、と解すべきである。

そして、美術学部の教授会が右のように決定するに当たり、教育的配慮が十分に払われていたことはもちろんであり、したがって、本件除籍には教育的配慮に欠けるところはない。

(五) 申立人は、芸大には申立人に再試験(卒業制作の再提出)の機会を与える義務がある、と主張している。

しかしながら、芸大の学則上、大学当局に右のような義務を課したものと解しうる根拠は全くなく、かえって四五条四項によれば、再試験を行うかどうかは、大学当局の裁量に任せられていることが明らかである。

ところで、芸大が申立人に再試験の機会を与えなかったことについては、申立人の指導を担当していた富松助教授が申立人と直接話し合ったり、彫刻担当教員による専攻会議を開催したり、さらには臨時教授会まで開いてあらゆる方面からその是否を討議したうえで決定されたものであるから、芸大が申立人に卒業制作再提出の機会を与えなかったことは、何ら違法ではない。

なお、再試験の機会を与えるかどうかが大学当局の教育的見地からする裁量に属するものである以上、申立人が右機会を与えられなかったことの違法性を主張する以上、芸大が右裁量権の範囲を逸脱し又はこれを乱用したものであることを明らかにする必要があるにもかかわらず、申立人は右の点には全く触れていないのであるから、申立人の前記主張は、それ自体失当である。

(六) 申立人は、芸大が申立人の卒業制作を「不可」としたことを非難している。

しかしながら、裁判所法三条にいう「法律上の争訟」とは、「法令を適用することによって解決し得べき権利義務に関する当事者間の紛争をいう」のであるから、法令の適用によって解決するに適さない単なる技術上又は学問上の紛争等は、裁判所の裁判を受けうるべき事項に当たらないものである。本件卒業制作における合格、不合格の判定を、もっぱら学問上及び芸術上の知識、能力等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、大学当局の最終判断に任せうるべきものであって、裁判所の裁判を受けるべき事項に当らないことが明らかである。

したがって、卒業制作についての不可判定を非難する申立人の主張は、明らかに理由がない。

二  申立人らは、本件執行停止を求める法的利益を有しない。

1 申立人は本件除籍によって受ける損害として「本案裁判の確定はいくら早くとも二~三年の時間は必要と思われるが、再評価の機会さえ与えられれば直ちに卒業しうる可能性があるのに二~三年もの期間卒業できない状態で推移する場合、申立人が今後の人生において社会的、経済的に回復困難な損害を被ること明白である」と主張していることから明らかなように、除籍さえされなければ直ちに卒業できることが可能である、との事実を前提としている。

2 ところが、本件除籍の効力が停止された場合にも、申立人は芸大の学生としての身分を回復するだけであって、その後に制作したという卒業制作に当然合格点が与えられ、実技Ⅳの履修を終えたものとされるわけではないから、申立人がこれによって当然卒業したこととはならないのである。

3 ところで、行政処分の効力の停止を求め得るのは、当該処分の効力を停止することが、当該申立人の権利の保全及び損害の発生や拡大の防止に直接役立つ場合に限られるというべきであるから、前述のように、本件除籍についてその執行を停止してみても、除籍がなされなかった状態が生ずるだけで、申立人の期待している卒業という積極的な効果が生じない以上、本件執行停止の申立ては、申立の利益を欠き、不適法であることが明らかである。

三  本件は、申立人が回復困難な損害を被る場合に当らない。

1 申立人は、本案裁判によって救済されるまでの間、今までのようなアルバイト生活を続けなければならないから、申立人とその母の生活が破綻する可能性が大きい、と主張している。

しかしながら、申立人は芸大に入学後アルバイトをしながら六年間の学生生活を送って来た旨みずから主張しているにもかかわらず、その間に申立人やその母の生活が破綻したわけではなく、本件除籍後本案裁判があるまでの間も、右と同様の状態が継続するわけである(換言すれば、本件除籍によって申立人の経済環境が悪化するわけではない)から、本件除籍の効力を停止しなくても、申立人やその母の生活が破綻するおそれは全くないと断言できる。

ちなみに、仮に本件除籍の効力が停止されれば、申立人は当然授業料を支払わざるを得なくなるから、申立人の経済環境はかえって悪化することとなる。

2 申立人は、本件除籍によって、卒業資格を付与されることなく社会に投げ出されるため、社会的に従来の学習活動が全く評価されないことになる、と主張している。

しかしながら、申立人が本案裁判によって救済された場合には、芸大を卒業して社会に出ることが可能であるから、本件除籍によって永久に卒業資格を付与される途がなくなるわけではない。したがって、申立人が本件除籍によって回復困難な損害を受けるおそれは全くない。

3 申立人の主張している前記各損害は、本件除籍がなされない限り申立人は当然卒業することができる、との事実を前提とするものであるが、右前提自体が既に誤りであることは前述したとおりであるから、本件除籍による損害についての申立人の主張は、この点においても不当である。

4 申立人は、その他抽象的に二~三年もの期間卒業できない状態で推移することにより、社会的、経済的に回復困難な損害を被る、と主張しているが、右主張は具体性を欠き、全く採るに足りないものであり、現実にも申立人が本件除籍によって社会的、経済的に回復困難な損害を被るおそれは全くない。

(原告主張本件除籍の違法性欄に対する答弁)

一  第一項の事実は認める。

二  第二項は認める。

三  第三項について、

1 1のうち、(三)のイ専攻科目実技Ⅲの取得単位数(一八単位である)、(四)のロ関連科目の授業科目の部分(光及び色彩学である)は否認し、その余は認める。

2 2のうち、ロ関連科目の授業科目の一つとして素描及び色彩研究とある部分(立体造形の研究である)及び図学及び遠近法とある部分(光及び色彩学である)は否認し、その余は認める。

四  第四項について、

1 1の事実中、申立人が、昭和五四年四月、彫刻四年次担当の教官小池郁男助教授に対し、甲第三号証の四年次計画書を提出し、この四年次計画書に、申立人主張にかかる各記載があること、四年次計画書は、甲第四号証の書類に必要事項を記入のうえ提出することになっていること及び申立人が昭和五四年度の卒業作品を出さなかったことは認めるが、申立人が甲第四号証の書類に必要事項を記入して提出することをやめたこと及び申立人が、昭和五四年度は右計画書で述べた課題にとりくんでいたことは知らない。その余は全て否認する。

2 2について

(一) 昭和五五年六月二七日の件につき、申立人が、四年次アトリエにおいて、アトリエの中にあった道具類、壁面、床、窓など(学生が制作のため使用中であった作品台まで)を紙(新聞紙)で(ガムテープを使用して)覆ってしまったこと、この申立人の(常軌を逸した)行為に対して一教員が「他の学生の仕事の邪魔になるからやめてくれないか、やるなら外でやってくれないか」と発言したことは認めるが、その余は不知ないしは争う。

右同日以降申立人が、申立人主張にかかるパンフレットの編集作業に入ったことは知らない。

(二) 昭和五六年一月中旬の件に関する主張は概ね認める。

(三) 昭和五六年一月二七日の件に関する主張は否認する。

(四) 昭和五六年二月六日の件に関する主張は否認する。同日申立人が行ったのは、「事物と言語の関係について」展と称する一日のみの(奇怪な)行為である。

翌二月七日の件に関する主張のうち、申立人が卒業製作として提出したレポート(ファイルではない)が二月八日不合格になったことは認める(全く作品とは認められないものであった。)が、その余は否認する。

昭和五六年二月一三日、申立人が、美術学部美術科彫刻専攻の教員(佐藤教員)に対し、甲第八号証の「再評価の申入書」と題する書面を渡したことは認めるが、その余は否認する。

3 3について、

(一) (一)は概ね認める。

(二) (二)については全て否認ないし争う。昭和五六年五月二六日、七月一五日、一一月一~三日の原告の行為は、作品の発表ではなく、単なる奇怪な行為である。

(三) (三)は概ね認める。

五  第五項について

1 1について、

概ね認める。

2 2について、

(一) 二月一二日に関する主張のうち、申立人が甲第一四号証の書類を富松教員に提出したことは認めるが、その余は否認する。なお、申立人が不合格理由に納得がいかなかったことは知らない。

(二) 二月一三日の申立人と富松教員の応答の内容は否認する。富松教員は、申立人から話し合いを要求されたが、卒展中は時間がないので、卒展終了後にその機会を作るようにする旨述べたのみである。

(三) 二月一七日、申立人が富松教員に甲第一五号証の書類を提出したことは認めるが、その余は否認する。

(四) 二月二七日、申立人が、富松教員に対し、再度卒業制作を提出して評価の機会を得たい趣旨のことを述べたことは認めるが、その余は全て否認する。

(五) 三月一日の件は知らない。

三月三日の富松教員と申立人の話しの内容は以下のとおりであり、以下の主張に反する部分は否認する。同日富松教員は、電話連絡のうえ、校門の前で申立人と話し合った。

富松教員は、卒業制作の再提出、再評価については、現在彫刻専攻の教員内で慎重に審議中であるが、一度教授会で決定した事項(申立人の単位不足を確認し、申立人は昭和五七年三月に卒業できない、と決定したことをさす。)を変更することは、非常に困難である、と述べた。

なお、同教員が、その折、土の乾燥が不十分であると焼成の段階で破損の危険があるので、一日でも二日でも乾燥の期間を延ばすように考えたほうがよい、旨申立人に述べたことは事実であるが、右は、同教員から現況を尋ねられた申立人が、現在テラコッタを作っており、同月八日頃に焼成するつもりでいる、と答えたので、同教員が、テラコッタの制作についての一般的注意事項として述べたものであって、申立人からの卒業制作の再提出が許されることを前提とした発言ではない。

(六) 三月六日、富松教員からの電話連絡により、申立人が研究室を訪ね、堀川教員と古島教員が申立人と話しをしたことは認めるが、会話の内容その他については否認する。

(七) 三月二五日の、申立人と堀川教員あるいは富松教員との話しの内容等は以下の通りであり、以下の主張に反する部分は否認ないし争う。

午前八時頃、堀川教員は申立人から電話により面談の申し込みを受けたので、卒業式の終了した午後二時頃から申立人と面談し、申立人が提出した卒業制作が不可となった理由及び卒業制作の再提出が認められなかった理由等について伝えた。同日午後三時頃、申立人は富松教員の研究室に来て、なぜ指導がなされなかった、と尋ねたので、同教員は、申立人の出席がほとんどなかったため、残念ながらその機会が持てなかった旨答えた。申立人は、なぜ自宅まで来て指導しなかったのか、と尋ねたので、同教員は、学生本人が登校しない以上、自宅を訪ねて指導する必要はない、大学教育は義務教育と違い、学生が積極的かつ主体的に教員の指導を受けながら研究活動を行うべきである、と答え、申立人の登校を待っていた、と述べた。

同教員は、さらに、卒業制作計画書の作成は、学科における履修票の提出同様、教育活動の指針となるものであり、重要な内容をもつものであること、卒業制作計画は極めて基本的なものであるから、自由研究を行うとしても、右制作計画と同時に実行さるべきものであること、及び学生は、学内施設使用上の諸手続き等学内のルールを守って研究活動を行うべきものであること等を申立人に話したのである。

3 3について、

(一) 四月上旬についての記載部分は認める。

(二) 四月一四日の記載のうち、要望書のコピーを教授会のメンバーに送付したか否かは知らないが、その余は概ね認める。

六  第六項(除籍が処分であること)及び第七項(本件除籍処分の違法性)については全て争う。

理由

一  申立人は、昭和五一年四月芸大美術学部美術科彫刻専攻に入学し、昭和五五年次(第五年次)までに実技Ⅳ(卒業制作を含む)二二単位を除いて、卒業に必要な授業科目単位をすべて取得したこと、昭和五六年次(第六年次)に申立人は、昭和五七年二月六日に申立人主張のとおりの新聞紙外一〇点及び板外二点を卒業作品として提出したこと、右作品は、翌二月七日彫刻専攻会議(彫刻科担当教官による採点会議)により不合格と認定され、そのころ申立人は、その旨の告知を受けたこと、その後申立人は、卒業作品の再提出を担当教官富松を介し申し入れたが、拒否され、昭和五七年四月一三日付、翌日到達の被申立人作成にかかる「除籍について(通知)」と題する書面により同月一日付で除籍されたこと、右書面の内容は、「昭和五七年三月三一日において在学期間が満了ですから、芸大学則三〇条二号の規定により昭和五七年四月一日付を以って除籍しました。」というにあること、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件除籍の行政処分性の存否について。

1  疏明資料によれば、芸大学則につぎのとおりの条項が存することが認められる。

(一)  学則三〇条 学長は、次の各号のいずれかに該当する学生に対して除籍をすることができる。

(イ) 二年の休学期間を経過した者

(ロ) 六年の在学期間を経過した者

(ハ) 疾病その他の理由により成業の見込みがないと認められる者

(ニ) 正当な理由がなくて授業料を滞納し、督促を受けても納入しない者

(ホ) 死亡又は行方不明の者

(二)  学則三一条は、再入学について規定しているが、除籍者は、(イ)(ニ)の場合に限り再入学が許され、(ロ)の場合は再入学は許されない。

(三)  学則一四条は「在学期間は、六年をこえることができない。」と定めている。

(四)  学則一一条三項は、学部の教授会が「学生の入学、退学、転学、除籍及び懲戒に関すること」を審議すると規定し、学則九条五項は、評議会は、「学生の厚生補導並びに学生の退学及び停学に関することを学長の諮問に応じて審議する。」と定めている。

(五)  学則四六条は、「本学に四年以上在学し、学科及び専攻科目につき、次の表にかかげる単位数以上を修得した学生には、卒業証書を授与する」と定め、同四七条は、「本学を卒業した者は、芸術学士と称することができる」と定めている。

(六)  学則四五条は次のとおりである。

(1) 授業科目の履習の認定は、その授業科目の担当教員が当該担当教員の定める方法による試験に、出席状況その他を加味して行う。

(2) 試験の成績は、秀、優、良、可及び不可を以って表示し、秀、優、良、可を合格とする。

(3) 試験に合格した学生には、所定の単位を与える。

(4) 試験に不合格の学生には、再試験を受けさせることができる(五項及び六項は省略)。

(七)  学則四一条別表第五は、美術学部彫刻科彫刻専攻につき、専攻科目を、実技Ⅰ(一二単位)、同Ⅱ(一二単位)、同Ⅲ(一八単位)、同Ⅳ(卒業制作を含む二二単位)と規定している。

2  一般に、国公立大学の学生に対する除籍は、教育施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するための自律的作用として位置づけられるが、退学処分等の懲戒処分とは異なり、一定の事実の生起に、学生の地位の喪失をかからせる措置を指称すると解される。そして、右の措置をとるか否かは除籍の右のような性質にかんがみると、専ら学校当局の裁量に委ねられていると解するのが相当である。

これを本件について言えば、右の一定の事実の生起とは、学則三〇条(イ)ないし(ホ)が、これに該当すると解され、同条前文は、右の学校当局の裁量に委ねられていることを示すものと解される。

ところで学則三〇条(イ)ないし(ホ)の内、(イ)、(ニ)、(ホ)は、大学当局の教育的見地からの裁量が働く余地は、殆んどないと言ってよいが、同条の(ハ)は、「成業の見込がないと認められる者」と規定しているから、当該学生が、果して成業の見込がないと言えるか否かの認定は、学校当局の教育的見地からする慎重な配慮が要請されることは多言を要しないところであり、学則一一条三項において、除籍を学部の教授会の審議事項と明定しているのは、主として、右のような要請を充足するための手続と考えられる。

なお、申立人は、除籍は、評議会の審議事項でもある旨主張するが、これを認めるに足りる学則上の規定はないから、申立人の右主張は採用できない。

ところで、本件除籍は、卒業認定に必要な単位数を取得することができない間に、芸大所定の六年の最長在学期間が満了したことを理由になされたものであり、具体的には、申立人は、六年次に実技Ⅳ(卒業制作を含む二二単位)が、不合格となったことから、最長在学期間が満了したことを理由になされたものである。

ところで、学則四五条四項は、前記のとおり、「試験に不合格の学生は、再試験を受けさせることができる」旨規定しており、右規定の趣旨は、不合格になった学生に対する救済的規定であるが、右規定により再試験を受けさせるか否かは一つにかかって大学当局の教育的配慮に基づく自由裁量に委ねられていることは明らかである。そして、若し、当初の試験の成績が著しく不良であり、再試験をしても到底合格点をとることが期待できないような学生に対し、再試験の機会を与えなくとも、右は大学当局の適正な裁量権の行使と認めるべきであり、右所為を以って、大学当局が教育的配慮を欠いた措置と即断すべきではない。

けだし、いかに学生の学習権の保障のため、教育的配慮をつくすべきであるといっても、そこには、自ら限界が存し、明らかに芸大卒業生の名に価いしない、成績不良の学生までも、無理して卒業させなければならない義務が芸大当局に存するとは解せられないからである。そして以上の理は、本件のような卒業作品の不合格につき、再提出の機会を与えるべきか否かについてもそのまま妥当すると考える。

右の見地よりすれば、本件の場合は、申立人の六年次における実技Ⅳ(卒業作品を含む)の不合格の程度いかん、卒業作品の再提出を認めなかった芸大当局の措置が、裁量権の適正な行使といえるか否か、が問題となるわけであり、再提出の申出を拒否することは、同時に本件除籍に直結するわけであるから、本件除籍は、教育的配慮に基づく裁量の働く余地が大であるといえよう。

してみると、学則三〇条所定の除籍のうち(ロ)(ハ)は、学生の地位を裁量によって喪失させる措置であるから、右(ロ)該当を理由として、公立大学学長である被申立人のした本件除籍は、行政処分というべきである。

以上の説示に反する被申立人の主張は採用できない。

三  本件除籍の効力について。

1  前述した本件除籍の性質及び単位不足学生に対する救済規定である再試験制度の大学当局の有する自由裁量性にかんがみると、(イ)申立人の当初の卒業作品が客観的にみて、再提出を認めて救済の機会を与えるに価する作品であったか否か、(ロ)当初の卒業作品及び提出に至る過程にみられる申立人の彫刻科学生としての資質からみて、再提出を認めて救済の機会を与えるに価する学生としての資質を有していたか否かの二点に対する大学当局の評価の合理性が問われることになる。

もし、大学当局の右の各評価が客観的にみて明らかに合理性に欠けると認められる場合は、再提出の拒否によって当然に招来された本件除籍は、大学当局の教育的配慮に基づく裁量権を逸脱したものとして無効となると解するのが相当である。

よって、以下、右見地に立って考察を進める。

2  本件除籍に至る経緯について。

疎明資料によれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和五四年度(四年次)の実技Ⅳの学習状況

同年四月申立人は、四年次の担当教官小池に、芸大所定の用紙を用いないで四年次卒業制作計画書と題する書面(疎甲三号証)を提出したが、その内容は申立人主張のとおりであった(右事実は当事者間にも争いがない)。

芸大所定の用紙は、「テーマ」「素材」「実習予定」の欄があり、備考欄には「作品制作は、担当教官と連絡しながら制作を進めること、前期(四月から七月まで)の終りには、制作進行状況を明示すること」と記載されていた。

申立人は、右所定用紙の内容それ自体が無意味であることを理由に、テーマ、素材、実習予定等については一切ふれていない前記計画書を提出したが、右計画書記載の文章は、一読して論旨が不分明であった(例えば、「芸術における彫刻とは、私にとって対象であり、表象であるところの普辺的な属性をそなえたものである。彫刻における見るという行為は、そのメディアの持つ特性として存在することは、いうまでもないのだが、見る対象及びその対象の存在する場は、すでに私の表象された概念としてすでに(私―事物―世界)の連関の中におさまっている。私の課題は、現実的な問題として今私の対象となるのは、空間の属性をして時間の属性といったことである。そして、こうしたことの物質化(現実に基づいた)ということである。」という文章が書かれていた)。

小池教官は、右計画書について、同年五月上旬に話し合いをすることを約すると共に、卒業制作については定期的に進行状況を報告することを要請した。

しかし、申立人は、小池教官との前記約定に反し、面会予定日に出頭せず、定期的に進行状況を報告することもしなかった。

その後も小池教官の再三に亘る要請にもかかわらず、申立人は小池教官との話し合いや、進行状況の報告をしなかった。

かくて、五四年次は、右のような状態のままで推移し、申立人は、卒業制作を提出しなかった。

(二)  昭和五五年度(五年次)の実技Ⅳの家習状況

申立人は、小池教官から、卒業制作計画書を同年六月一四日までに提出するよう指示されていたのに、同日までに提出しなかった。また、堀川教官からも、実技Ⅳについて問題点を指摘した指導がなされた。

申立人は、同年六月二六日、教室及び廊下等に後記「見ることについての反証展」のビラを貼った。

同月二七日、申立人は、四年次アトリエにおいて、「見ることについての反証展」と称し、新聞紙とガムテープを使用して、床、壁面、窓及びアトリエ内の道具類や、作品台を覆ってしまった(右事実は、当事者間にも争いがない。)。

申立人は、新聞紙で覆われた作品台を囲み、数名の学生及び学外者と討論を始め、美術学部の教官らの中止勧告を無視して、討論を継続した。

右アトリエ使用については、学生心得一一条一項所定の事前許可手続は経由していなかった。

芸大彫刻科専攻教官らは、申立人の前記唐突な行動の意味を理解することができなかったが、申立人は、「見ることについて」と題するノート中に、「右反証展の企画は、アトリエの空間、時間は、素材研究という名目の下にヌードを見て人体を制作する実践の場としてあるが、人体制作の意味、内容を全く問題にすることがないので、このアトリエにおけるさまざまな営為を対象化することが目的であった。

私がいくら事物を紙で覆ったとしても、覆うことのできる面積の限界、完全に覆ったとしても、その形は残るという問題があるにもかかわらず、この展を実行したのは、見るという行為の中における言語の機能を明らかにすることが、この試みの意図であった。」と記載されていた。

昭和五六年一月中旬、小池教官から申立人に対し、卒業制作の搬入期日が二月七日午後四時までであること、現在の卒業制作の制作状況等を連絡するようにとの書面による告知がなされた(右事実は、当事者間にも争いがない)。

同年一月三〇日、申立人は、「卒業制作に関する計画書」と題する書面を小池教官に提出したが、右書面は、一枚の紙にa・b・cとして展示計画等が記載されているにすぎないもので、卒業制作計画書の名に価しないものであった。

同年二月六日、申立人は、「事物と言語の関係について」展と称し、大学内の大工房で、一辺が約二・五メートルの立方体(木ワクに新聞紙を貼り合わせたもの)を作り、その内壁に文字(憲法の条文、芸大学則、新聞広告、自己の名前等)を書き、その立方体の箱の中で、見に来た学生とコーヒーを飲みながら話し合うということをした。

申立人の右展の意図は、前記「見ることについての反証展」の意図と同様であった。

同年二月七日の卒業作品提出日に、申立人は、前記「見ることについての反証展」の記録、「見ることについて」というテーマで書いたメモ類、入学以前の制作にかかる絵の写真、入学後制作にかかる未提出の彫刻、油絵の写真、前記「事物と言語の関係について」展のポスターの写真を一冊のファイルにとじて提出した。

同月八日午前申立人は、堀川教官から、申立人の提出物は、レポートであり、作品とは認められないので、不合格となった旨告知された。その際堀川教官から申立人に対し卒業作品について種々の助言(例えば、卒業制作は実技ⅠⅡⅢの実技修得の集大成として位置づけられており、これらの成果をふまえて、自己の造形技法を、素材を通して表現することにある等)がなされ、同月一三日申立人は同教官から、申立人の提出物は、不合格であるから、卒業作品展に出品できない旨告知された。

申立人は、同月一八日、堀川教官に対し、「再評価の申入れ書」と題する書面(疎甲八号証)を提出したが(右事実は当事者間にも争いがない)、その内容は、要約すれば「私の提出物は、造形された作品ではなく、哲学、文学の領域に属する部分もあるが、あくまで、私が彫刻をやって行く中で生じた問題に関する研究、問題提起であり、彫刻ではないという理由で不合格という措置は納得できない。もう一度、私の提出物を検討し、不合格の理由を、納得の行くよう説明して欲しい。」というにあった。

三月一七日堀川教官は、申立人に対し、右再評価の申入れ書に対する回答として、「芸大彫刻専攻のカリキュラムによる彫刻の習作又は制作は、観念のみで成り立つものではない。考えを現わすための素材を通じて試みるもので、少くともその考えを現わす素材の機能を知り得る造形技法が必要である。レポートは、作品を作るうえの補足的なものであり、彫刻としての実証がない。カリキュラムで言う立体とは、彫刻の実体のことであり、思考と実証が素材を通して試みられたものである。」と、縷々不合格の理由を説明し、あわせて、六年次の卒業制作を計画的に行うよう指導した。

(三)  昭和五六年度(六年次)の実技Ⅳの学習状況

同年四月上旬、卒業制作についてのガイダンスが富松教官により行なわれ、申立人も出席した(右事実は、当事者間にも争いがない)。

その折同教官から、卒業制作計画表用紙が配布された。しかし、申立人は、所定期間内に右計画表を提出しなかった。

同年五月二五日ごろ申立人は、友人二、三名と共に、芸大当局に施設利用願等を提出することなく、音楽棟一階ロビー床、階段部分(二、三階)及びロビー屋上まで帯状に新聞を貼りつめた。

芸大当局は、翌二六日ごろ申立人に対し、右新聞の撤去方を要求したが、申立人は、これに応じなかったので、同月二九日ごろ、芸大当局において撤去した。

申立人の右行動を、申立人は、試展①と称していたが、その意図は、音楽棟入口の立看板(音楽学部関係者以外立入禁止)に対する批判と、人間が歩くという行為を対象化するためというにあったが、芸大当局は、申立人の右行動を不可解な、秩序違反行為と評価していた。

ついで、申立人は、同年七月一三日ごろ、芸大当局に対し、施設使用願を提出することなく、大学構内のバルザック像と、その周辺芝生及び奏楽堂前に紐で赤い布を張りめぐらした。

芸大当局は、直ちに申立人に対し、その撤去方を要請したが、申立人は、これに応じなかったので、同月一七日、芸大当局において撤去した。

申立人は、自己の右行動を試展②と称していたが、その意図は、誰が見ても、作者の意図が理解でき、作者の独占物とならず、誰もが共有化できる可能性をもった作品の形態を追求するというにあった。

しかし、芸大当局は、申立人の右行動を不可解な秩序違反行為と評価していた。

同年一一月一日から三日までの芸術祭期間中、申立人はコールタールを使用した「大学を耕す」と称するものを展示したが、これは、ブリキ板の上にロール状に巻いた金網を乗せ、上から白いシーツを掛け、その上からコールタールをたらしたもので、作品の意図は不明である。

申立人は、五六年次を前記のとおり、計画表の提出も、卒業制作状況の報告もせず、殆んど登校しないまま推移し、昭和五七年二月六日午后に、申立人主張のとおりの二点を卒業作品として提出した(右事実は当事者間にも争いがない)。

翌七日卒業制作採点のための彫刻専攻会議(彫刻専攻教官の採点会議)が開かれたが、申立人の前記二点は「制作過程を示す材質研究の技術がなく、素材を生かす構成や、造形性がなく、創意を確認できる造形(組み立て)の点に著しく乏しく、表現力が拙劣である。」ことを理由に不可(不合格)の採点が与えられ、さらに、前記のような申立人の卒業制作過程における不可解な行動や、担当教官に対する計画表の不提出等をも加味して、実技Ⅳ(卒業制作を含む二二単位)に所定の単位を授与しないことが決定された(なお、採点に際しては、申立人提出の二点は、《証拠省略》のとおりに素材が配置されていた。)

二月九日申立人は、卒業制作二点が不合格になったこと及びその理由の要旨を堀川教官から告げられた(右事実は当事者間にも争いがない)。その際同教官は、大学のカリキュラムについて説明し、申立人の作品は、これに従った創造性が認められないと述べたところ、申立人は、大学のカリキュラムは自分の念頭にはないと言明した。

申立人の右卒業作品の制作意図は、必ずしも分明でないが、芸大のカリキュラムに従った彫刻作品は、一年次ないし三年次の実技ⅠⅡⅢで修得しているから、卒業制作は、素材をあまり加工せず、それの配列、組み合わせにより、人間の営みである空間、時間を対象化しようというにあった。

要するに、申立人の卒業作品提出意図は先に認定した四年次計画書(疎甲三号証)の思想の延長線上のものと思われる。

同月一三日、卒業判定のための美術学部教授会が開かれ、堀川教官から、申立人の作品を写した写真に基づき、その評価、彫刻専攻会議の評議経過、結論の説明がなされ、教授会は、申立人の単位不足を確認し、申立人が昭和五七年三月に卒業できないことを決定した。右教授会において、申立人は、同年三月で最長在学期間をこえることとなる旨の事務報告もなされた。

同月一七日ごろ、申立人は富松教官と会い、不合格理由の明示及び卒業制作の再提出の機会を与えられたい旨の要望をなし、その旨の書面(疎甲一五号証)を提出した。

同月二七日申立人は、富松教官に対し、重ねて、再提出の機会を与えるべき旨を要望し、三月二日午後彫刻専攻会議において、申立人に対し、卒業作品の再提出の機会を与えるべきか否かについて討議がなされた。

ついで、三月四日、彫刻専攻会議は、①卒業制作が、不合格とされ、本人に告知された時点において、正規の手続を経由して制作された作品が他にある場合であれば、右作品の再提出を許すこともできるが、申立人は、このような作品はない旨自認している。②二月一三日の教授会決定を変更すべきではないとの理由から再提出は許さないことが決定された。

三月五日午前臨時教授会が開かれ、先づ一般論として卒業判定会議後における卒業制作の再提出の可否について論議されたが、否定説が多数であった。ついで、三月四日に彫刻専攻会議において再提出は許可しないと決定された旨が報告され、その結果、教授会としては、右専攻会議の決定を尊重することなる決議がなされた。

同月一三日の教授会において、申立人を含め、同月末日を以って在学期間が六年に達する学生に対しては、自主退学を勧めることを決定し、これに応じない学生に対しては除籍することもやむを得ない旨合意した。

同月二五日、申立人は、堀川、富松教官と面接したが、堀川教官から、申立人に対し、不合格の理由及び再提出を認めなかった理由が告げられた。

かくて、四月一二日の臨時教授会において、申立人は、在学期間が六年をこえる故を以って四月一日付で除籍と決定され、同月二二日の評議会も、右教授会の決定を諒承した。

(四)  以上(一)ないし(三)に認定した事実によれば、

(イ) 申立人は実技Ⅳにつき四年次は、所定用紙を用いずに卒業制作計画書と題する書面(疎甲三号証)を提出したのみで、卒業作品は提出しなかったこと。右書面は、申立人の彫刻に対する思想を述べたもので、具体的な制作計画ではなかったこと。

(ロ) 五年次は、卒業制作計画書を提出せず、卒業作品提出日には、前記「見ることについての反証展」の記録や、「事物と言語の関係について」展のポスター、写真等を一冊のファイルにとじて提出し、卒業制作作品とは認められないという理由で不合格となったこと。これに対し申立人は、「再評価の申入書」と題する書面を提出し、「右ファイルが作品でないことは、そのとおりであるが、右ファイルは、彫刻に対する考え方についての問題提起であり、単に作品でないという理由で不合格にするとは納得できない。」として不合格の理由の明示を要求したこと。

堀川教官は、その回答として、申立人に対し、「芸大彫刻専攻のカリキュラムによる彫刻の制作は、観念のみで成り立つものではなく、その観念は、素材に造形技法を加えて表現しなければならず、カリキュラムにいう立体とは、彫刻の実体を言い、それは、思考と実証とが素材を通じて試みられたものである」と縷々不合格の理由を説明したこと。

(ハ) 六年次において、申立人は、卒業計画書を提出せず、また芸大所定の施設使用願いを提出せずに、学内施設を使用し、前記試展①②と称する行動をしたが、芸大当局は、不可解な秩序違反行為と評価していたこと。芸大当局所定の卒業作品提出日に、申立人は申立人主張のとおりの二点を提出したが、採点のための彫刻専攻会議において、右二点は、「制作過程を示す材質研究の技術がなく、素材を生かす構成や、造形性がなく、造形の点において創意が著しく乏しく、表現力が拙劣である」として不合格となしたこと、さらに、六年次における不可解な行動や、卒業計画表の不提出等とも加味し、実技Ⅳに所定の単位を授与しないことに決定したこと。そして、堀川教官は、申立人に対し、不合格の理由の要旨を説明したうえ、大学のカリキュラムについて説明し、申立人の作品は、これに従った創造性が認められないと述べたところ、申立人は、大学のカリキュラムは、自分の念頭にはないと明言したこと。

その后卒業判定のための美術学部教授会は、堀川教官から、申立人の卒業作品を写した写真を提示して不合格とした経過の説明を受け、単位不足を確認し、申立人は昭和五七年三月に卒業できないことを決定したこと。

(ニ) その后申立人からなされた、卒業制作の再提出の申出は、彫刻専攻会議において慎重に討議され、否決と決定されたこと、臨時教授会も、彫刻専攻会議の決定を尊重する旨決議したこと。

(ホ) かくて、四月一二日の臨時教授会において、本件除籍を決定し、評議会も右決定を諒承したこと。

以上の事実が明らかである。

3  本件除籍が裁量権を逸脱しているか否かについて。

申立人の右卒業作品は、《証拠省略》によれば、素材について何らの造形的手法を加えることなく、これを配列したものであることが認められるから、一見して申立人の彫刻に対する四年次以降の思考の表現であることは容易に看取されるが、申立人の彫刻に対する思考は、前記昭和五四年次における卒業制作計画書等に見られるように、一読して論旨が不分明であり、右思考の延長線上にあると見られる申立人の行動(見ることについての反証展等)も、彫刻担当教官らの目には、不可解な行動として評価されているのである。

思うに、申立人は、四年次以降、大学所定のカリキュラムを否定し、自分独自の彫刻に対する思考の道を進まんとしたのであり、担当教官の再三に亘るカリキュラムにおける彫刻の定義に一切耳をかたむけなかった結果、実技Ⅳの単位を確得する機会を四年次、五年次、六年次ともに失したのである。

元来大学における学生は、教育を受ける立場にあり、学習権というも、それは、あくまで、大学所定のカリキュラムに従うことが要請されるのであり、大学における教育方針と全く対立する独自の学習を、大学の正規の課程において実践することは、許されないことであることは多言を要しないところである(申立人は、《証拠省略》において、申立人の卒業作品につき、それが彫刻界における新しい潮流に従っているものである旨縷々述べ、その正当性の裏付け資料として《証拠省略》を提出しているが、卒業作品は、彫刻に関する哲学的思考を短絡的に表現すればよいというものではなく、あくまで、大学所定のカリキュラムに従ってなされるべきものであるから、申立人の右陳述書及び右疎甲各号証は、前記認定を左右するに足りないというべきである)。

従って、申立人の卒業作品が不合格になったについては、十分の客観的合理性が認められ、大学のカリキュラムを否定する申立人は、芸大彫刻専攻学生としての資質に著しく欠けるから、申立人に対し卒業作品の再提出を許可せず救済の機会を与えなかった芸大当局の措置も十分に合理性を有すると認められ、芸大当局が、申立人に対してとった、これら一連の措置を目して、教育的配慮に欠け、裁量権の逸脱があったと認めることは困難である。

なお、《証拠省略》により認められる合格となった申立外宇佐美学生の卒業作品は、単なる素材の配列とは言えず、造形性が認められるから、右学生の作品を申立人の作品と同列に見るわけにはいかず、右学生の作品が合格となった事実は、右認定をなす妨げとはなし難い。

四  してみると、本件除籍は、実体上も、手続上も有効というべきであるから、本件除籍の違法を前提とする申立人の本案は、行訴法二五条三項にいう「理由がないとみえるとき」に該当し、その余の点について判断するまでもなく、本件申立は却下を免れない。

よって、申立費用の負担につき、民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 松本武 裁判官 澤田経夫 加登屋健治)

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